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私小説:印字頭’Z

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幼児時代Ⅲ

 さて、幼児時代Ⅲである。
 奇妙な動画を投稿しておきながら説明は一切無いが、それもこのブログらしいようにおもうのである。嘘である。である語尾を使いたくて無理に使ってみたところ語感が悪くなったのである。そのうち変な人たちがフォローするはずであるので、長々と待ってくれればいいと思う。
 そう、フォローといえば前回の記事である。
 前回の記事にて何人が読んでいるのかを確認してみたところ、実に八人が読んでいた。拙者、びっくり。ちなみにこの数はコメントを含んだものであり、拙者を数えれば九人である。実に十人近い人間がこの記事を読んでいるらしい。嘘である。嘘だ。何故拙者を数に入れたのかと言われれば、そっちの方が人気がありそうだからである。拙者、見栄を張った。
 それを変な人たちに取り上げてもらい更なるネタにするはずだったのであるが、生憎、機会を逸した。拙者、幸運の女神の前髪を掴むことができなかった。しかし幸運の女神というのは不思議なのもので、目の前をそんな女が走り去っていけば先ず間違いなく誰かがツッコむはずである。大阪に行けば道沿いの人々が総ツッコミであるはずなので、それはもう大変なことである。拙者、大阪に対して過度の期待を寄せている。とりあえず、拙者が突っ込むとしたら「笑太かよ!」であるはずだが、しかしこのツッコミはリンガフランカを読んでない人にとっては分からない。拙者、不親切であった。
 しかし今日はやけに拙者、○○であったというフレーズが多い。
 さておき、幼児時代Ⅲである。拙者、さておいた。
 この頃の拙者といえば友人控えめの低カロリーであり、コーヒーのCMに採用されんばかりのカリスマに溢れていた。嘘である。拙者、その頃はコーヒー飲めなかった。つまりはそういう時代である。
 この時代の拙者、M県の熊野市に在住であった。モロバレである。三重県の熊野市であり、井戸小学校に通っていた時分もあった。たった二年間ではあるが、思い出深い土地である。
 初恋、初交通事故、初窃盗などもこの時期である。嘘である。いやしかし嘘ではない。
 初ヤンキーとか初水風船落下とか、初雨の中でのランニングや初釣り、初スカートめくりに初救急車もこの土地であった。どれも本当のことであるが、しかし果てしなく嘘っぽい。けれど信じて欲しい、拙者は嘘なんて言ったことがない。嘘である。
 とりあえずここに当時の思い出を書いておき、次のネタの構築をやりやすくしようという算段である。拙者、計算高い。嘘である。計算高かったのなら、スカートどころかパンツまでめくっていたなんて明かしはしない。
 前述の話を放置して、今回は友人H君の話である。ここに来るまでにえらく時間が掛かった。もうこの時点でこの文章を呼んでいる人間は居ないように思われる。このカテゴリーでは一行目を開けることに気付き数行に空白を入れるだけでもめんどいことであるので、おそらく皆見出ししか読んでいない。そんな人らはとりあえず文盲とでも呼んでみようと思う。嘘である。ごめんなさい。
 拙者さておくが、友人H君、大層お金持ちのお子様であった。何せ超合金の五体合体を幾つも所有していた。一方拙者が持っていたのはレゴブロックであり、貧富の差は歴然であった。こんな時点で人生に差をつけられていたのかと思うと、拙者、絶望する。だが絶望しない。意思は望む方向に伸びる!
 小説の一フレーズを真似てみたが、拙者の記憶おぼろげである。意思は望む方向に伸びる、と書いたときに医師は望む方向に伸びると書いてしまい、よもやチョッパーもゴム人間であったとは、と拙者酷くびっくりである。
 さてH君であるが、彼は進研ゼミを受講した。当時の拙者、酷く憧れた。あの効果がよく分からない楽しげな機具に興奮を覚えたものである。以来進研ゼミのパンフレットは常に熟読するようになり、あきらかにH君の影響を受けていた。H君のおかげで今の拙者が居るといっても過言ではない。過言である。新しいパターンが出た。
 しかし、H君が進研ゼミを受講して居たのは僅か半年である。H君は同い年なのであるが、H君は小学校に上がってすぐ進研ゼミを始め、そしてやめてしまった。拙者大いに失望である。だが、H君は格が違った。彼は進研ゼミを早々に見限り公文式に入門したのである。
 公文式にも拙者、大いに憧れた。H君の器は進研ゼミなんてものには納まりきらないものだったのである。将来を見据えた選択に、拙者、大いに揺らぐ。H君はこれほどの大人物であったのかと、現在の拙者もびっくりである。H君の株は不景気にすら敗北を許さなかった。
 拙者もまた、引っ越してから公文式へと入門することになる。まさかその影にH君の影があったとは、今の今まで気付くことがなかった。拙者の人生に与えたH君の影響に、拙者びっくりである。引っ越して以降H君とは会っていないが、今はきっと大人物であると拙者は想像する。
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幼児時代、Ⅱ

 さて、久しぶりの私小説カテゴリである。
 あまりにも久しぶりなため簡単に説明しておくと作者の人生を一つひとつ書くというカテゴリであり、カテゴリ等と言う横文字はあまり使わずと言ったところでこのブログは横文字である。拙者、ショボン。
 ちなみにこの拙者なる一人称、これはかの有名な「拙者拙者詐欺」からとったものであり、考えるに若い間に流行している一人称である。「拙者チョーダルィー」とか皆言ってる。渋谷辺りで言ってる。嘘と言うか拙者の若者言葉語彙が貧困である。若者言葉イコール渋谷とかもうその思考からして貧困である。拙者、若くない。
 ちなみにである語尾から連想するのは塾長とか大豪院邪鬼とかである。嘘である。嘘であるが拙者の語尾は通常であるである。やはり嘘である。
 ちなみにこの下りは作者の人生に全く関係の無い駄文であり、書籍化の際は全て削られるのであるがしかしやはり嘘である。そもそも書籍化しない。



 さて、恥ずかしげも無く言うが拙者の初恋が大体この時期である。
 同じアパートに住むMちゃんというのがその相手であり、拙者の数少ない友人であった。拙者、その頃から友人控えめであった。コーヒーのCMからして控えめと言うのは良い言葉である筈なので友人控えめもまた良いことである。嘘だが。
 さてそのMちゃん、当時幼稚園の年長であり、いやだから拙者ロリコンではない。当時は拙者も幼稚園の年長さんである。つまり拙者ショタであった。うんごめん素に戻るが気持ち悪いな俺がショタとか。
 まあさておき拙者幼稚園児であった為、遊び場所は光線であった。打ち間違いである。公園である。
 前回の幼児時代Ⅰでも書いたように、拙者、馬鹿な子供であった。どれくらい馬鹿かといえば、数年後友人と一緒に「ケツ――ッ!!」などと叫びながら教室でジャンピング・ケツ・曝け出し等かますくらいであった。ちなみにその時期にはアニメ「クレヨンしんちゃん」が開始した頃であり、あからさまに影響を受けていた。しんちゃんやシロがプリントされた枕を当時愛用していたほどである。実話であり、共犯者はコイツである。
 話が逸れたが、さておき拙者は馬鹿な子供であった。重ねて言おう。馬鹿な子供であった。更に言おう。馬鹿な子供であった。こうして過去の自分を否定することで今の自分がどれほど変化したのか強調しようという腹であるが、しかしリアル友人は元々拙者を馬鹿だと思っているので恐らく無意味である。という訳でこの記事を読んでいる人が騙されてくれればいいと考えている。
 さて、馬鹿な子供が好きな女の子の気を引こうと馬鹿なことを言った。それは嘘である。いや嘘と言った言葉の前文が嘘だったのではなく、気を引こうとして言った事が嘘であった。例えを出すならば「あそこの草には毒があるんだ」とかであった。拙者、当時からこんな感じであった。
 思うに、ここから拙者の説明好きが始まっているように思う。今でも拙者は自らが説明できることならば喜んで首を突っ込み、リアル友人共はもはや聞き飽きてうんざりした顔をしているが、しかしそれでも説明好きである。友人共も嫌な顔をしながらも聞いてくれるのでいい友人である。嘘だが。
 そんなことをずっと続けてはいたが、しかしMちゃんと過ごしたのはたった二年間であった。それは親の転勤によるもので、その時小学一年生つまりショタ真っ盛りであった拙者は、しかしその頃築いた友人関係を全て捨てて別の土地に行くことになった。
 幼稚園年長と小学一年生、この二年について思い出は多くある。それを書くのにこのページは小さ過ぎ、なので今日はここで終ろうと思う。
 無駄な文章減らせば書けたんじゃ、という突っ込みはスルーするのである。

幼児時代Ⅰ

 さて、幼児時代である。
 拙者、M県久居市に生まれ津市で幼稚園児となり、熊野市で幼稚園の年長と小学一年生を過ごした。ようするに色んなところを渡り歩いているのである。
 しかし思い出してみると、拙者、大層なアホの子であった。
 何せ当時の写真にはお猿のポーズをする前歯の欠けた子供が写っている。それが拙者な訳で、個人的にはその写真を燃やし灰を十字路に撒くレベルで抹消したいのであるが、あえてここに書き残してみようと思う。
 子供の頃の記憶は殆ど残っていない。これは恐らく、共に幼児時代を過ごした人が居ないからだろう。事実、その時期の知り合いというものが拙者には殆ど居ない。ところで暗い話をしているところで「拙者」というのはいささか妙だと思うが、拙者、省みない。退かぬ媚びぬ省みぬが拙者の信条である。嘘である。凄く省みたい。
 その頃の記憶といえば、恐らく拙者の一番古い記憶の話をしようと思う。
 それは当時住んでいたアパートの住人達に抱かれている記憶である。主婦の方々が作者をたらい回しに抱いて祝福したのである。拙者、生まれた頃から祝福されていた。それはもう三賢者が東の方からやってくる勢いである。嘘である。蛇蝎の如くであった。意味が分からない。
 ところで三賢者といえば勇者ロトの生誕を祝福しにきた人であるが、これはキリストの伝説を基にしたものであり、つまりキリストは勇者ロトであった。キリストもゆうべはおたのしみだったのであろうとおもう。嘘である。いやそれが嘘だが。
 またその他の記憶では、なんか水道から白い液体がとめどなく流れてえらくびびった記憶があるのであるが、しかし水道からそんなものが流れるはずもなく、これは夢であったのかとも思う。
 また、警察に良く囲まれていたのもこの時期であったと思う。この時期はよく警官に囲まれていた。手錠とかもされていた。嘘ではなく。
 そんなこんなで、拙者の人生は始まった。

前回は「嫌われ松子の一生」のパロディーであり、毎回私小説のパロディーで通そうとしていたら、実は「嫌われ松子の一生」、私小説ではなかった。なんか恥かいた。

 と、真面目なプロローグを書いたところではあるが、基本的には阿呆な話である。
 しかしこうして私小説を書こうとすると、迷うのは一人称である。自分のことをなんと呼ぶか、これが難しい。例えば小生物語で有名な乙一先生は「小生」であるが、いくら自分が小さな人生を送っているといってもこれは使いづらい。何故かといえば後追いになるからである。しかしよくよく考えてみると、どの一人称も誰かが使ったものである。当然である。ところで語尾があるだからといって中国人というわけでもない。自分は日本人でアル。似非日本人のようになってしまった。
 自分がいつも使っているもの、といえば下の名前である。「賢治(仮)、お金超欲しい」とか普段から言っているのである。嘘である。「俺」である。「俺俺、俺だけどさ、交通事故起こしちゃってお金が居るからこの口座に四百万振り込んで」とか電話でよく言っている。それはやはり嘘である。
 こうやって書き物をするときには自分を良く使う。しかし小説のようなものを書いているときは「僕」や「私」が多い。どちらも昔使ったことがある。「私」は使いやすそうではあるが、かつて「私」を使ったところ、「女みたい」と言われたので使いづらい。以来「私」を使うことには抵抗がある。僕、という歳でもない。自分、僕っこではない。嘘である。いやそれこそが嘘である。
 そうすると、残されたものは一つしかない。そう――拙者である。
 よくよく考えてみると母親は忍びの里、三重県上野市の出である。これはもしやぴったりではないだろうか。しかし更によくよく考えてみると、母親は一時期そこに住んでいただけで実は忍びの血を引いていなかった。拙者、がっかり。
 しかし、拙者というものは案外楽しいものである。以降、このカテゴリでは拙者で通そうと思う。カテゴリとか、いきなりカタカナが出てきて拙者、びっくり。
 これからは普段も、自分のことを拙者と呼んで欲しい。街角で見かけたとき、友人が声をかける。「おーい、拙者ー」。
 うむ、なんか凄い。嘘であるが。

嫌われ黒い物体の一生。

 昔から、一つの夢を見た。
 それは私が子供の頃、病院に入院している母を見るというもの。
 周りには家族がいて、どれも目線を落とし、眉尻を下げ、口元を噤んでいた。
 そして、母はこう言うのだ。
「ごめんね、弟、生んであげられなかった……」
 昔一度だけ聞いたことがあった。自分には兄がいたのだと。
 本当ならば自分の名を受けていたであろうその人は、生まれる事無く、母の中で死んだ。
 自分にはその記憶が無い。当然だ、生まれる前の話、聞いたことがあるだけのただの昔話。なのに、母の悲しそうな顔を、私は稀に夢で見る。
 そして何か自分が失敗したとき、その事を思うのだ。
 もしその兄が生まれていたのなら、こんなふうに失敗することなど、無かったのではないかと。
 それは有り得ない、有り得なかった事で、けれどだからこそ強く思う。
 私には姉が二人居る。そして、両親は男の子が欲しくて、自分を産んだと言っていた。
 兄が生まれていたのなら、自分は産まれなかっただろうから。