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丸い窓の向こうに、プロローグ+起:印字頭’Z

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丸い窓の向こうに、プロローグ+起

えーと、どっかに投稿予定の小説というかライトノベルというか。
これを読んで興味を持たれた方は、非公開コメでその旨と連絡方法さえ教えていただければパスワードをお伝えしますー。  ――プロローグ――



 がたん、ごとんと揺れる車内に、いるのは三人の学生だけだった。もう終点も近く、古びた広告の張り付いた車両はがらんとしている。
 一人は隅に、隠れるように座っていた。長い前髪で俯いた表情は隠れ、鞄を抱き、壁に体を預けている。
 あとの二人は車両の中央、向かい合う座席の片側にいた。女の子は乾いた目を読みもしない旅行の広告に向けて、ただ呆然と、電車のリズムに肩を揺らしている。西日を背にした表情が、寂しげなのは気のせいだろうか。
 そんな少女を慰めようと、となりの少年は声を掛けようとして、手を伸ばし――けれど、何も出来ずに動きを止める。
 三人は僕の友達だった。三人しか居ない、僕の大事な友達。
 月夜、真昼、翔太朗。
 こんな三人を僕は見たことがなかった。
 視線も合わさない。触れもしない。言葉すら交わさない三人を見るのが辛くて、目を逸らしたくて、けれどそれすら出来なくて。
 ブレーキ音が耳障りに鳴り響く。
 流れていた窓の向こうの背景が緩やかになっていく。
 終着駅は、手が届きそうに近かった。



 ――月夜、PART 01



 熱く湿った空気は緑の匂いがして、短い呼吸には向かなかった。まるで塊のように、喉につかえて邪魔をする。
 けれど、その息苦しさを無視するように私は走っていた。背の高い雑草を根元から踏み倒し、せり出した枝を手で払いのけ森の中を駆ける。追いかけているはずの背は木々に隠れて見えず、背後からは翔太の足音が付いて来て、それに急かされるように走った。
 木の葉をすり抜けて刺さる陽の光は暗い森を格子状に照らして、瑞々しく光る下草がそれを乱反射させている。地面は湿り気を帯び、靴は土に沈んでいく。走りにくくて、でもそれすら楽しくて。
 やがて見えてくるのは真昼の服の赤と、乾いた地面と、光の当たる広場だ。
 そこを目指して走っていく。息を整えるのは後だ。腐葉土からのぞく岩をまたぎ、目の高さの枝をくぐり、転がる岩を踏み越えて――私は息を飲んだ。
 広い――見えていたよりも遥かに広い公園。この一帯だけ草も生えず、グラウンドのように乾いた黄色をしている。学校の体育館と同じくらいか、いや、それよりも少し広いだろうか。周り全てを森に囲まれたこの場所は、なのに地面が丁寧にならされていて、そこから反射する太陽光に目が痛くなった。
 おぼろげな視界にはいくつもの遊具が見えた。キリンの形の滑り台、像を象ったジャングルジム、ワニによく似た二人掛けのシーソー。どれもが動物の形をしていた。
 いくつもあるそれのずっと向こう、体を動かす場所だろう、何も置かれてない、まっ平らな地面があった。
 そこには真昼が居て、大事そうにボールを抱えている。
「あ、月夜ー! なんだろうね、ここー!」
 はしゃいだ声に、私は答えることが出来なかった。少し待って欲しい。呼吸を整えることに私は忙しい。
 一つ、二つ、三つ、四つ、大きく息を吸って、吐いて。五つ目の呼吸と共に、右足で地面を蹴った。
 走りにくい森に較べたら、このくらいの距離は一息だ。遊具をすり抜け、真昼の数歩手前で立ち止まる。
 森に縁取られた公園の奥、丸太小屋の前で真昼がボールを抱えて呆けていた。
 誰が立てたのだろうか、そこには人の住めそうな小屋が森に埋まりながら建っている。
 ちゃちなプラスチックでなく、樹木の肌を残した丸太小屋。ドアと窓だけが、それを家ではないと主張していた。ペンキを塗っただけだと分かるドアと窓。ラインを黒に塗ってあるそれは細かくひび割れていて、手抜きであることこの上ない。本来ドアノブのある部分だって、真っ黒に塗り潰されているだけで突起も何もなかった。
 広場の中を一歩二歩と進んで、靴にまとわりついた泥を擦り落とす。背後からは遅れてきた翔太の感嘆する声が聞こえた。
「……なんだろう、これ……!」
 そんなの私が聞きたいくらいだった。こんなの見たことがない。多分、誰だって見たことがないだろう。絵本の中から抜け出したような丸太小屋。細部の安っぽさが余計にリアリティーを拒絶している。
「つっきー、翔太ー!」
 けれど、三歩、四歩と進むうちにだんだんと怖くなってくる。なんでなのかは分からない。なんだか怖い。だから、真昼の近くへ逃げるように、私は足を早めていく。
 真昼は小屋のすぐ傍、ドアの辺りに立っている。
 近づいて、私は気付いていく。なんだか変だ。ドアノブが変だ。ドアノブのあるはずのそこは真っ黒に塗り潰されて――いない。
「早く、こっちこっちー!」
 塗り潰されてなんかいない。
 穴だ。
 そこにあるのは、ぽっかりと口を開けた、真っ黒の穴だ。
「まーだー!? 早くー! 早くしないと――」
 真昼は何て続けるつもりだったのだろう。
 その背後に開いた黒の穴、その奥から光がゆっくりと、じゃない、あれは光なんかじゃなく、見たことのある形、そう、あれは真っ白な――手だ。腕だ。
 小屋の穴から腕が生えてくる。伸ばされた手が、こちらを見ている真昼の肩に――


……――――********************――――……


 駅の中、そこにある座席の隅で私は寝てしまっていたらしい。眼鏡を額にずらし、右手の甲で目を擦った。
 顔を上げても時計は見えない。奥まった場所にある座席の一番奥から、改札口の上に据え付けられた時計は死角だった。左手首を見ても、セーラー服とシャツの袖が時計を隠してしまっている。仕方なく右手で袖をめくって、電車の時刻より少し早いと分かった。
 いいタイミングだ。学生鞄を手に立ち上がり、定期を取り出して改札口をすり抜けた。
 ホームには何人もの人が居る。ワンマン電車に辛うじて乗り切れるくらいだろうか、だからこの時期の電車はいやだった。すべて聞けば混乱しそうなくらい多い会話を意識的に聞き流し、端まで歩いて、いつもの場所で立ち止まる。
 私を皮切りに、ホームでたむろっていた学生達が緩やかに列を作り始めた。立ち話をしていた連中は私の後ろに並んでいく。会話の内容や僅かな感情の機微まで聞こえてしまうこの距離で、私はそれを邪魔しないよう、居ることすら気付かれないよう押し黙る。
 目も塞いだ。その代わり、昨日読んだ本の内容を思い浮かべていく。
頭の中の小説を読んでいれば……、ほら、すぐに時間は経ち、電車の到着を知らせるラッパみたいな音が聞こえて。目を開き、緑の車体を僅かに待った。
 私から半メートルほどの位置に車両が立ち止まる。
 息を吐くような音と共に電車のドアが口を開いた。後列に並ぶ人々に押されて、私は足を踏み入れる。車内の暖かい空気は上手く喉を通らず、僅かな息苦しさを覚えた。
 密度の濃い空気を飲み込んで、車両の端、壁際の空席に陣取る。スカートを折って座り、鞄を膝に置いたときにはもう空席なんて見当たらない。通路に溢れる人々が愚痴や馬鹿話を話し、いくつもの集団になって座席を取り合っていた。それに関わらず、私は鞄に手を入れる。
手探りで文庫本を探し当て、ふとあたりを見渡した。
 目の端に移る人々は誰も彼も似たような格好だ。薄い藍色をベースに白のラインを入れたセーラーと、それらと似た色彩のブレザー。私の隣に座った少女も、当然の様にその制服へ袖を通している。同じ制服を着た私は、もしかして友達のようにも見えるのだろうか。
 舌打ちをして、取り出した文庫本を開いた。
 生徒をひとしきり飲み下した列車は口を閉じ、緩やかな加速を始めていく。吊り革を持つ人が揃って斜めに傾げ、体勢を戻した頃には速度は安定させていった。人の輪が、また適当に会話を始める。
 意識で音声を無視し、本で視界を遮った。
 入ってくる情報は、文庫本の紙面だけだった。



 一区切りついて顔を上げるといつの間にか人の密度は薄くなり、僅かな会話だけが耳に入る。さっきまで大声で話していた集団も心なしか声を低くしていた。ボリュームを絞るように、音そのものが小さくなったみたいだ。向かい側の窓からは、まだ高い日に照らされて、田んぼがきらきらと輝いて見える。稲の刈り取られた田んぼには水なんてなく、刈取り後の根元だけが晒されているのに、何故か砂金のように輝いている。それはこの季節のなんでもない光景で、それでも美しく、けれど、
「……すぐに田舎になるんだよね……」
 出てくる感想はこんなものだった。きっと見慣れているのがいけないのだろう。
何となく呟いた言葉は車内に大きく響いて、私は慌てて口をふさいだ。辺りを見回し、こちらを見ている人が居ないことを確認し息を吐く。隣の席がいつの間にか空になっていることも運が良かった。
 ……しかし、このあたりは本当に田舎だ。普段意識しないからこそ、この田舎っぷりが気になってしまう。高校のある所は街に近く、栄え、本屋もあればショッピング街も遊び場もある。対して、同じ路線の先にある私の町は酷く田舎で何もない。高校まで電車で四十五分だ。不便なことこの上なく、やることすら見つからないような私の町。
 そんな場所まで、あと三十五分くらいだろうか。
 頭を壁に預け、右に振り向き、横目で背後の窓を見やった。田園を抜け針葉樹の並ぶ森に差し掛かっている。秋の終わりの乾いた森だ。
 ……似ても似つかない筈のその風景に、何故だろう、私はあの夏を思い出す。――子供の頃駆けた、無闇に濃い匂いの中の、あの夏の森を――……。


……――――********************――――……


 あれはいつの頃だっただろう……七つ、いや、誕生日が九月だから……六つの時か。真昼は七つで翔太朗は六つ。その頃の私は二人と遊んでばかりいて、というか、二人とばかり遊んでいた。二人しか遊び相手が居なかった。もしかして寂しい子供時代だったのだろうか。いや、そんなことはないし、泣いてもいない。
 その頃私は自転車にやっと乗れるようになり、私達の中で自転車に乗れない人がいなくなり、だから、近所の散策が私達のちょっとしたブームになった頃だった。少し遠い中学校に、公園として解放されている古墳跡に、駄菓子屋のあった小さな小さな駅前に、探し当てては通い詰め、遊び飽きては別の遊び場を探していた。
 最後に残ったのが寂れた神社だ。神主はいても参拝客は居らず、小さな夏祭りと年末年始にしか誰も訪れない、木と木と木にしか囲まれていない山頂の神社。
「……ねぇ、こっちの方、探検してみない?」
 それに飽きたから、真昼はそんなことを言い出したのだろう。その誘いに乗った私と翔太朗も、きっと飽きていた。
 倒木やぬかるみを足場にして歩き、森を抜けた先にあるのは広い公園だ。客もないのに柵が有り、空き缶もないのにクズ籠があり、道もないのに入り口があるおかしな公園。埃の積もった遊具や、目の粗いジャングルジム、しっかり踏み固められたグラウンド。
 何てことのない、ただの公園だった。特徴といえばことごとく動物の形をしている遊具や、隅に立つ、遊具にもならない丸太小屋くらいだろうか。
 けれど、子供からしてみればそれは秘密基地を見つけたことと変わりなかった。
 自分たちだけの遊び場。
 そこは私達にとって最高のお気に入りになった。



 やけに背の低い滑り台を逆から登り、ブランコとブランコを絡ませ、シーソーをカタパルトにボールを砲丸にして遊び、最終的に落ち着いたのは単純なキャッチボール。三角の頂点を立ち位置に、硬球ではなくゴムボールをぐるぐると回していく。
 私が投げたボールは一回跳ねて翔太朗に受け止められる。一呼吸もおかず、流れるように振りかぶり、大きく左足を上げ、踏み抜き、
 投げた。
 真昼が受け止めるはずだったボールは頭上を通り過ぎ、その背後にあったオブジェへと突き刺さる。丸太の壁に当たって、てん、てんと跳ねた。黄色い蛍光色が見えなくなって――どうしたものかと、真昼が動きを止めた。投げた翔太朗も、見ていた私も。三人揃って小屋を見詰める。
 なにとなく、私達はその場所に近づこうとしなかった。遊びがいもなく周囲に遊具もない、ぽつんと建っているその小屋に近づいたりはしなかった。その小屋の前、夏の日を反射するグラウンドにボールは転がっている。
 取りに行くのは真昼だろうと、他人事のように思った。あるいは投げた翔太朗だろうか? どちらにしろ私には関係なく、ボールとの距離も遠かった。だから、
「あたし、とってくるねー」
 私は真昼を見送った。気軽に声を上げ、楽しそうに、楽しい場所へと行くように真昼は駆け出していく。子供の投げたボールだ、飛距離もなく、小走りで二分ほどの道のり。それを真昼は全速力で走った。
 ……何故だろう、僅かに罪悪感があり、手持ち無沙汰に両手の指を絡ませる。翔太朗を見るともどかしげな表情で、だからと言うわけではないけれど、私は真昼を追いかけることにした。
 どうせ無駄だ。私達はキャッチボールをやりやすい場所を選んでいて、だからきっと、真昼がボールを取ってこればまた元の場所に戻るだろう。小屋の背後には深い森があって、キャッチボールには向いてない。
 ――それに。私が考えていた間に、真昼はボールに辿り着いてしまっている。私はもう駆け出していて、無駄なことをしていると思いながら、けれど走ることをやめはしなかった。
 丸太小屋の手前、真昼はボールを抱えて立っていた。こちらを見ない真昼から数歩離れて立ち止まる。
「ま、ひる? どうしたの?」
「……あ、つっきー……」
 今まで気付いていなかったのだろう、僅かに間を空けて真昼は私の名前を呼んだ。つっきー、というのは私の仇名だ。そういう愛称を考えるのは一種の遊びで、真昼も自分で『まっぴー』などという呼称を作ったりしている。私は呼ばなかったけれど。なんとなく、気恥ずかしいし。
「ボーっとしてたけど、どうかしたの?」
「ん、……変だな、と思って。ほら、この小屋、取っ手がないんだよ」
 取っ手……? どういうことかと考えて、それがドアノブのことだということに気付いた。
 その小屋にドアはない。素材自体は丸太を使っていて、プラスチックの安物とは訳が違う。なのにドアときたら枠をペンキで書いただけの落書きみたいな代物だった。窓もそうだ。本物の小屋なのか安っぽいオブジェなのか、よくわからない出来になっている。
 その半端な小屋の扉にノブは付いていなかった。代わりとばかりに、その部分は真っ黒く塗り潰されている。
 なんでだろう、私はその丸太小屋から目が離せなかった。。
 見詰めているうちに、気付く。落書きなんかじゃなく、それは、真っ黒な穴だ。
 遅れてきた翔太も意識にすら入らない。
 辛うじて、私の後ろ、翔太に目をあわす真昼だけが見えて――
 その黒々とした穴の奥に、明りが灯るのが見えた。
 それは光ではなく、光に似た形の広げた手のひらで、ずるりと奥から這い出して来る指だ。
 手首から、肘、二の腕の半ばまで出てきて、一番近い真昼へと手を伸ばす。
 何が起こったのかわからず、私はただ立っているだけだった。それに気付いたのだろう、翔太朗が私の視線の先に辿り着き、その後を追うように真昼が真っ白い手に目を奪われた。
 三人の目に晒された腕が、耐えるようにその手を握り締める。きっと苦しいのだろう、視線にすら焼かれそうなほど、その肌は白かった。
 硬い拳を緩め、こちらの手を誘うように指先を広げていく。
 まるで握手をねだるように。
 そしてその手が口を開いた。
「……僕の友達に、なってくれない……?」
 それに返す言葉なんて、持ち合わせてはいなかった。


……――――********************――――……


 それからはいつも四人で遊んだな……なんて、そんな年寄り染みた懐古で、私は思い出を締めくくる。
 高校生のすることじゃない気がする。
 この思い出自体はもう十年程前になるけれど、四人で遊ばなくなったのは小学校の卒業後だ。……ああ、でも、それからの四年は私の人生の四分の一で、そう考えるともう随分昔のことなのかもしれない。
 車内アナウンスが田舎の路線にある、小さな駅の名を告げた。この駅からは目的地まで二十分ほど。思い出に耽っていた時間は案外長く、けれど、この長い道のりを満たすには足りない。人のいなくなってきた車両の中で、私は文庫本を開いて――



 ――真昼、PART 01



「あーくそ、乗り遅れたー!」
 加速していく車両の手前で、あたしは誰にでもなく文句を垂れた。
 乗り遅れた学生達が思い思いに散っていく。小さな集団での会話を再開したり、誰にも取られないよう足早にベンチへ向かったり、構内の自販機へジュースを買いに行ったり。
「くそって、女の子としてどうよ」
 やる気なくツッコむのは翔太だ。正式名称雲井翔太朗、「朗」とか偉そうなんであたしはその字を略す。
「あーもう、翔太が走らないからだよ! あたしあれだけ走ったのに!」
「どっちにしろ間に合わなかったよ、この時間だと並んでる連中でいっぱいだ」
 その言葉通り、さっき満員の車両が出て行ったばかりだというのにホームは人、人、人だ。全学生の帰宅時間が重なるテスト期間ではこうなるのが通例だった。確実に座るのなら列の頭に並ぶか、便を四本ほど遅らせるしかない。
「……うー、こんな時期に車両が二台しかないのがおかしいんだよー……。この時期混むのはいつもなのに……」
「そういう訳にもいかないんだろ」
 にべもなくそう言って、翔太はあたしの隣に並んだ。『危険なのでこのラインより先には入らないで下さい』なんて書かれた注意書きを踏んで、右手と左手両方に学生鞄。片方はあたしが無理矢理持たせたものだ。着ている学生服はネクタイを緩め、襟元のボタンは二つ外してある。いつもよりダラけた格好で、なんだかくたびれた感があった。きっと疲れているのだろう。
「翔太ーノリ悪いー」
「ノリ悪いって、いつもこんなんだよ」
「えー、いつもならノリノリでツッコんでくれるのに。いらないくらい」
「ノリツッコミなんてしたことないし、あといらないくらいとか言うな」
 ノリツッコミとは言ってないけどと、そう返そうとして、やっぱり止めた。翔太の顔には覇気がない。本当に疲れてるんだなー……ネタフリとかでなく。
 どちらともなく、私達は空いたベンチへ歩き始める。殆ど埋まってはいたけれど、奥の方に一つ、まるまる空いたものがあった。古くはあったけれど背に腹は変えられない。何せあと四十分はあるのだ。……田舎とは悲しいものだ。
 屋根がなく、雨ざらしになったベンチは座席部分をひび割れさせている。その隙間や止め金具には小さなゴミが詰まっていて、表面には薄く、黄砂のように汚れが張り付いている。……あたしが少し引いていると、翔太がそれを払ってくれた。こういう時、翔太はべん…………、ありがたい。
 安全だと示すように翔太はベンチの端に座り、私もその隣に腰掛ける。
「よっこいせっと」
「……真昼、そのなんだ、おばんくさい」
「しゃらくせぇ」
 言ってから、意味が違うかなと思ったけれど、訂正はまぁいらないか。
「ていうか翔太ーなんでそんな疲れてんの? テスト終ったのに?」
「テスト終ったからだよ……むしろ、お前が何でそんなにはつらつとしてるのか問いたい」
「え、だってテスト明けだよ!? これから遊び放題だよ!?」
 テスト最終日は学校が半日で終るし、カバンも軽いから言うことなしだ。部活もなく、汗を気にすることもない。……込み合う電車だけは難点だけど。
「ゲーセンカラオケ買い物にショッピング! やりたい放題じゃん!」
「その微妙に狭い範囲はともかくとして、買い物とショッピングは同じだからな」
「ショッピングって言うのは、あれですよ、頭にウインドウがつきます」
「しかも見るだけか」
 翔太はため息を一つ。……ため息って、周囲にも伝染するから嫌いなんだけどなぁ……。
「……じゃああっちにいきゃいいのに」
 あっち、とは翔太の指差す向かいのホームだ。そろそろ電車の時間なのか、いくつもの列がうじゃうじゃとひしめき合っている。カタンと音がして、左を向けば短い車両が角を曲がったところだ。……あの大きさだと、例に漏れず乗り切れないんだろうなぁ……。
「どうして?」
「どうしてって、あっちに乗れば街行きじゃん。遊ぶんならあっちだろ?」
 確かに、こちら側は家に帰る道だ。この駅を境に団地もテンポも姿を減らして、田んぼと森と山ばかりになる。遊ぼうとするならこちらのホームは向かないだろう、けれど、
「……うん、今日は、公園に寄ろうと思ってさ」
 自分の言葉に恥ずかしくなり、あたしは隠しきれない笑みを俯いて誤魔化した。



 電車の到着が近いホームに、誰ともなく学生達は列を作り始める。まるで学校行事のようなその光景は少し不思議だ。
 けど、そう長く見ていたわけじゃない。隣の列を横目で見た程度だ。だからそれに気付いたのも偶然だった。
 蒸気の漏れるような音。開いたドアに足を踏み入れたのは背の低い女の子だった。中学生のようにも見える、けどあたしと同じ制服を着て、この位置からは顔が見えない。肩甲骨より下まで伸びる黒髪。
 それはあたしの知ってる人だ。
「ね、あれ、月夜じゃない?」
「ん?」
 翔太は振り向いたけれど、もう遅くて、人影は車内に消えている。
「……まぁ、同じ学校なんだからいてもおかしくないだろ」
「部活で時間ずれるから、あんま会えないんだよねー……」
 会いに来てくれれば良いのに。
 月夜はあたしの幼馴染だ。同じ学校に入ったのはいいけど、校舎が違うせいか殆ど会うことはない。あたしと翔太は部活――ハンドボールをしているから、登下校時間も重ならないし。
 呟く間に列は先へと進み、もうあたしの番になった。ドアをくぐった先は時代を感じさせる、率直に言えば古臭い車内。金属類は光沢を失くし、吊り革には小さなひびがあった。こういうものを見るたびここが田舎だと感じる。……別に田舎が嫌いなわけじゃないけど、大学は東京とか目指してみようかな。ベタに。
 車内を見渡す。空いている座席なんてどこにもなく、入り口からぞこぞこと入ってくる人はもう立ち見決定だ。あたしも例に及ばない。しょうがないから向かい側のドア近く、手摺りのある辺りに立った。そこなら背もたれ代わりにもなるし、楽だ。
「……あ、お前が言ってたのってあれか」
「へ?」
「だから、月夜。お前言ってたろ? ……うん、確かに月夜だなあれ」
 あたしからみて対角線上、電車の先頭に当たる位置に座っている女の子。長い黒髪が文庫本に垂れ、それを左手で払い読書を続ける。……本を読む姿は(見ていても飽きるだけなので)あまり見たことはないが、それでも彼女はあたしの幼馴染だった。
 なので、「おーい、つっきー!」と叫ぼうとして、翔太に口をふさがれた。
「ふぁに、おふぁふぁりふぁきんひへふ!?」
「それはすまんがちゃんと喋れただし叫ぶな! 迷惑だ!!」
「ふぇ、」口をふさいでた手が外れ「翔太も叫んでるしあとさっきの通じてたんだ!? 不必要に凄いな翔太!」
「何年の付き合いになると思ってるんだよ!?」
「いやちょっと待って食いつくトコそこじゃないよ!? 落書きしないでって落書きか!?」
「……ん……」
 周りを見ればもう既に観戦モードである。そりゃそうだ。
「……よし、知らないフリしよう」
「出来るんだ」
 翔太すげぇー。あたしちょっとコレ無視出来ねぇー。



 電車で揺られること約三十五分。
「……もう、いいよね?」
「いいって何が?」
「だから、月夜。もう声かけてもいいよね?」
 もう立っている人なんてあたしと翔太くらいだ。二人隣り合って座れるほどの場所はなくても、分かれれば十分に座れるだろう。分かれてまで座りたいとは思わないけど。
「これなら声をかけてもいいよね?」
 返事を聞く前に歩き始める。行き先はもちろん月夜、車両の一番端だ。慣性は無視、吊り革を辿っていく。他の人だってこれくらいするし、殆どの人は一人遊びや友達との会話で暇を潰してる。少しくらいのマナー違反はまぁいいだろう。
 本を読んでいる月夜は気付かない。目は大丈夫かと心配してしまうほど本と顔が近かった。だから顔は殆ど見えず……けれど、月夜じゃないかもなんてことは思わない。そんな、疑うことすら思いつかない。
 ……月夜はあたしの幼馴染だ。何年会っていなくたって、見間違うことはありえない。
 多分。
 実は少し不安だけれど。
「つっきーよっ!!」
 声をかけた。
 ページをめくる手が止まる。肩がピクリと震えた。動きを止めて、そろそろと顔を上げた。
 目が合う。
 今の状況なんて全く理解していない、けど思い出の頃と同じ、可愛らしい顔がそこにあった。
 ……でもその眼鏡は少し減点だ。
 そんな事を、あたしは思った。



「やー、しかし久しぶりだね! 学校でもなんか会わないし!」
「う、うん……、校舎も違うしね……私殆ど教室で本読んでるから……」
「本好きだったもんねー」
 そう、そうだった。月夜は本が好きで、小学校の後半に入ってからは読書に没頭し、言葉が聞こえなくなるのもよくあった。当時から長かった髪をちょんまげにしてやっても気付かず、そのまま授業を受け続けたのにはとても笑った。
 ……そんなことばかり思い出す。
 気になってはいたのだ。学校でも擦れ違わない。登下校路も同じで、家に至っては斜向かい。そんな状況なのに会えない幼馴染はあたしの気がかりの一つだった。携帯の番号も知らない。親のネットワークだけで伝わってくる月夜の情報だって、あたしの記憶とどこかずれて違和感がある。
 だから、会えたことが、会えただけで結構嬉しい。
 何を話そうか。何から話そうか。
 まずはジャブ的にテストの話。いくら選択の美術とはいえ問題が「何でもいいから描け」はあんまりだろう。仕方ないから斜め前のクラスメイトが漫画描いてるところを描いてやった。そこから先生のネタを話すのもいいな。「俺、本業は画家なんだ」とかあんまりだ。
 久しぶりだし、教室に遊びに行く話もいいかな。休み時間なくなりそうだけど。会いに来いとねだってもいい。クラスメイトの馬鹿話……授業中に「ザ・ワールドッッ!!!!」とか叫んだあの馬鹿の話はどうだろうか。教室の時を止めた後、何事もなかったかのように座ったけれどあれは一体なんだったんだろう。
 文化祭の開会式でジャン・コクトーの詩をそらんじた生徒会長の奇行は、きっと月夜だって知ってるはずだ。いまいち盛り上がりに欠ける話だけれど……。そうだな、盛り上がる話ならやっぱり翔太の話とかだろうか。翔太はああ見えて意外にアレなのだ。寝ぼけて先生のことを「お母さん」と言っちゃったことは大爆笑。小学生かよ。
 仲のいい男子とのホモ疑惑が出ていることはきっと本人も知らないはずだった。とっておきのネタだけど、この際だ使ってしまおう。
 時間はどんどん過ぎてしまう。
 ここから終着駅までの短い時間。話したかったことは半分も使わない内に見慣れた駅がやってくる。再会が終ってしまう――そんなことを考えて、それが間違いだとすぐに気付いた。
 月夜の家はあたしの家の斜向かいにある。自転車でも五分はかかる駅からの道だって、三人で話せばきっと楽しいだろう。
 そうだ。それに――あれを聞いてみないと。
 電車が減速し始める。
 思い出したかのように、月夜が手にしていた本を仕舞い込む。
 殺しきれない慣性に車両の中身が丸ごと揺れる。
 自動ドアが開き始めた。
 だから――あたしも口を開こう。
「ねぇ――皆で、公園に行かない?」
 開いたドアが、何度か跳ねて開ききる。
 入り込んできたのは冷たい風で、それさえも嬉しくて、あたしは胸を膨らませた。



 なんだかんだで、一時のお別れになった。
 場所はあたし達の家の前。月夜はもう背を向けていて、あたしと翔太はその背中を見詰めていた。
 電車を降りてからの十五分。話しきれていなかったことや新しい話題を三人でまわした。
 その中の様子はこんな調子だ。
「ねー、どうする? 鞄置いてから行く? それとも、このまま直行?」
「……あ、私、家にちょっとだけ用事あるから……」
 あたしの言葉に、腫れ物に触れるような調子で返したのは月夜だった。そういえば、月夜にはこんな癖があったなぁ。何も悪いことをしてないのに、とても申し訳なさそうに喋るのだ。いつからの癖か――は、関係が長すぎて逆に把握できない。
「……出来れば、ちょっと時間欲しい、かな」
「んー、じゃあ三十分後集合、とか?」
「……も、もうちょっと……」
「そーだよー! 女の子の身だしなみは時間がかかるモンですよ? 朝の三十分がどれだけガッツ溢れるものか、野郎共は知らんのですよ!」
「あんだけ汗だくでボール投げてるのに?」
「してるよ? 校則あるからうすーくだけどねー?」
「部活後ジャージで帰る女の癖に……!?」
「ま、部活のある日はあんま出来ないんだけどねー……。でも体育会系女は先輩から技術を伝承されるので普段からしてる奴より上手かったり?」
 いやま、部活によって結構差はあるんだけど。ちなみにそういうのがないところは友達同士で学習してたりする。
「シャワー浴びて服変えて……三時にここで、てトコかな。風呂上りの女の子だよ、翔太的にハナヂ? ハナヂもんですかこのムッツリ!」
「ムッツリ違うしそこまで考え及んでなかったよ!」
「今からシャワー浴びてくるんで、うっかり☆ハプニング的に突入したりするなよ?」
「お前んちは玄関開けたらお風呂場なのか!? どんなどこでもドアだよ!」
「でものび太って、明らかに狙ってるよね? 入浴時間とベストアングルを的確に」
「未来のアイテムにそんな機能ねぇよ!」
 ふむ、ここで一旦話はオチたかな。そう思って視線を外せば、所在なさげにたたずむ月夜がいた。……入ればいいのに、と思って、フってみた。
「ね、月夜はどう思う?」
 このフリを予測してなかったのだろう、月夜は目を見開いて、
「ゴメン、話聞いてなかった……。えーと、翔太郎がムッツリ……?」
「それ的確に酷い抜粋だな!」
 中々いい返しだ……! てかホントは聞いてたんじゃないのかソレ。
 えーと、話が逸れた。
 三時集合ということになり、あたしたちは一旦別れた。月夜は斜向かいへ、翔太は左隣へ。あたしはと言うと、家に帰ってシャワーを浴びて、一服してから服を着替えていた。何を着て行こうか……スカートで森の中を歩くのはちょっと危ないし、いつもならパンツ履いて行くんだけど。
 でも変に気合入れてもなんかやる気まんまんな感じがして微妙だしなぁ……。
 箪笥ひっくり返して、とっかえひっかえ着た挙句、最終的にはデニムとキャミの組み合わせに落ち着いた。……、なんか普通だけど、まぁいいか。キャミソールのフリルは汚れやすそうだけど、冬の森なら雑草も少ないし。あんだけ考えた末にコレってのはちょっと虚しいけど。
 時計を見れば、約束の十分前。
 自分の部屋の扉を開いて、あたしは二人と一人に会いに行く――。



 玄関を出て左を見ると、さっきと同じ格好の翔太がいた。
「服、変えてないのかよー」
「めんどくさいし」
「……いや、制服汚れるよ?」
「う」
 考えていなかったらしい。汚れてしまえ。その点あたしはスニーカーなので完璧だ。
「……お前、服変えても色気ないな」
「うっさい」
 ていうかあんた、色気ある服着たって「お前には似合わない」とか言うくせに。
このツンデレめ。
「……月夜は、んー、ちょっと時間より早いしな。そろそろ来るんじゃね?」
「ん、そういやそうか、五分前くらい?」
「だな」
 すると、噂をすれば影というか、ガチャリとドアの開く音がした。反射的にそちらを見やる。……俯きがちの月夜が、セーラー服のまま出てくるところだった。ご丁寧にも鞄まで学校指定のそれだったりする。正気かこいつ。
「……月夜……?」
「……あ……、ごめん、遅れた……?」
「いや、その……制服、汚れるよ……?」
「え……あ」
 そう呟いて顔をしかめた。あんたも気付いてなかったのかよ。
「服、着替えてくる? それくらい待つけど」
「い、いいよ、このままでもなんとかなるから」
「んじゃ、もう行こっか?」
 あたしんちの塀にもたれかかっていた翔太が、その言葉に歩き始める。遅れまいと、月夜が小走りで追いかけた。……懐かしい光景に嬉しくなりながら、あたしもそれを追っていくのだ。



「そだ、携帯のアド教えてよ!」
「…………、え、私?」
 他に誰がいるというのか。
「翔太のは知ってるし。赤外線使えるよね? メルアドと番号、おーしーえーてーよー」
「……私、携帯持ってない……」
「へ?」
 なんて言いましたかこの子。花の女子高生が。
「えーと……あ、家に置いてきたんだ?」
「ううん、自分の携帯ない……。お父さんとか持ってるけど、私使わないし」
「ちょっと奥さん聞きました!? 今時携帯持ってないザマスよこの子!」
「珍しいけど別にいーじゃん」
「うわぁ冷たい反応!」
「少ないけどたまにはいるじゃん、ほら、女子の館山とか」
「アレは携帯なくても自前で電波出してるからいーのよ。……じゃなくて!」
 漫画で見たことはあるけどあれキャラ付けだと思ってたよあたし! 中学で持ってなくても進学のお祝いとかでね!?
「……高校の友達は学校行けば会えるし、中学とかの友達は会いにいける距離だし。……別にいらないかなって。月に三千円とか払いたくない……」
「中学で二万四千という利用料叩き出した女ですよあたし! そんなん言われたらどうすりゃいいのか!」
「あー、それで思いっきり怒られてたよなお前。おばさんが面白おかしく教えてくれた」
「何やってんだあのアマ翔太もそんな話聞かない! あと話逸らすな!」
 自分で言ったくせに……と呟いて翔太が黙る。そんなんで会話に加わろうなんて片腹痛いわ。
 …………しかしどうしよう、どんなコメントしていいのか分からない。携帯持ってない奴との会話なんてわかんねぇー。いや嘘だけど。それ以外の話するだけだけど。
 ため息をつきそうになって、慌てて口を押さえた。携帯があればいつでも連絡できるって、そう思ってたから、この事実はすこし残念だ。
 息を吐きながらぐるりとまわりを見渡した。森と田んぼの間にある二車線ほどの幅の道だ。アスファルトで舗装はされていても、白線は引かれていない。元々この場所にはなかったのか、それとも剥げてしまったか。
 公園へと続く道だ。ここまできたらもうすぐそこだった。あたし達の住む団地を抜けて、田園地帯の真ん中を渡り、突き当たった森の外周に沿って歩く。すると神社へ続く階段があり、その脇にある森林を抜ければ公園に辿り着く。
 子供の頃に見つけたこの道を、何回辿っただろう。
 最初は三人だった。小学校高学年になると翔太が来なくて二人だった。中学校に上がると、月夜が来なくて一人だった。
 でも、今は三人だ。凄く嬉しいわけじゃない。感動できるほどじゃない。でも、あたしには確かに嬉しくて。
 小さかった頃のあたしがあたしの横を駆け抜けた。それを追いかけるように、月夜、翔太。先に辿り着いた昔のあたしが、こちらを向いて手を振った。そこに二人が追いついて、三人がこちらを振り向いて、消える。
「……よし、駆けっこしよう?」
「へ」
 翔太の間の抜けた声をあたしは聞かなかった。駆け出して、しばらくすると背後から二人の足音が重なって追って来る。
 森の縁に辿りついて、さっきのあたしのように、くるりと回って手を振った。
 すぐに翔太が、少し遅れて月夜が。
「ちょ、ちょっと待って……息が……!」
 息の荒い月夜が、呼吸で肩を揺らしている。
 呼吸が収まるまで、あたしは待ってるから。
 だから、三人で行きたいと、そう思った。



「……月夜ー、スカートはまだ無事ー……?」
「うん……慣れてるし……」
 何に。
「……おーい、俺も学生服なんだけど心配なし?」
「アンタは翔太だから」
「どんな物言いだよ」
 反射的に返してから、自分でもいいこと言ったな、と思う。なに言われてもこう返せばなんとかなるな。
 冬の最中、森の木々は葉を落としていない。ただ空気だけは冷たく乾いたこの季節のものだ。……、最初に来たのが夏だったせいだろうか、この森は夏のイメージで、それ以外の季節にはどこか違和感がある。
 あの小屋へと続く、公園を覆う森だ。雑草が生えてないから歩きやすく、だけどスカートで歩くには流石に不便だろう。松の木なんかは樹液がつくと粘つくし。いやこの辺松なんて生えて無いけど。でも針葉樹だから似たようなものの気がする。
 ああ、広場の明りが見えてきた。
 夏の日差しも通さないこの森は暗く、冬の柔らかい光は木々の隙間から僅かに差し込むだけだ。
 だからだろうか、あたしは足を早めていく。
 早足から駆け足へ。枝は手で払った。後ろを向いて発破をかける。
「ほら、急ごうよー!」
 答えを待たずに、あたしは幹に手をかけた。つま先に光が当たる。次にふくらはぎ、手に顔、全身が広場に入る。
 ――視界の端、森を背にぽつんと建った小屋が見えた。背後には公園をぼうっと見てる月夜の気配。……昔に較べると古びてしまったのだろうか。通い詰めているあたしには分からなくて、それは何だかイヤなことだ。月夜なら分かるだろうか? 少し怖いけど、余裕があれば聞いてみようか。
 でもそれは後回しだと、あたしは歩き始めた。
 一歩一歩近づいていく。小屋までの距離は大体三十メートルほどで、途中、遮るように遊具が建っていた。それをかわすのも慣れたものだ。
 足は早く。……きっとあたしは焦っているんだ。勝手に急ぐ足取りよりずっと早く、心臓が駆けている。
 肋骨の奥、呼吸のように胸を圧迫する心音を右手で押さえつけた。それでも靴音はリズムを崩さない。
 もし早足じゃなくてもこの動悸は変わらないに違いない、なんて、そんな風に思って笑った。
 目前には小屋がある。真っ黒い穴を開けた丸太小屋。
「――ん、真昼、おはよう。……足音が多いね?」
 気付いて振り向いた。翔太がこちらに近づいてきて、月夜は翔太の影から半身だけを覗かせている。
「うん、今日は翔太とね、なんと月夜が来てるのですよ!」
「翔太と……え? 月夜って、あの月夜?」
「他にどの月夜がいると」
 言ってから、しまった、と思う。あたしのこのコメントからはボケが生まれない……!
「えー……そう、だね、月夜なんて人、僕は一人しか知らないし。……けど、珍しいなぁ……三人揃ってなんて、いつぶりだっけ?」
「中学の頃にあったくらいかなぁ……もっと来ればいいのにね?」
 会話に参加しない二人に振ってみる。
 ………………………………………………。
 あれ?
 あたしの斜め前、遠くはないんだけど近くもないような位置に二人は立っていた。立ち尽くしていた。仲良く並んで視線をフラフラさせている。
 いや、喋れよ。
「ハイ月夜! 今の気分はどうですか!?」
「え……あと、久しぶり……?」
「はいボッシュートー! 翔太は!?」
「…………髪切った?」
「見えねー!」
 チョップを入れた。いい感じの手ごたえが返ってくる。ていうか案外ボケたな翔太。
「はは、久しぶりだけど、なんだかあんまり変わってないね?」
 おかしそうに、というよりは楽しそうに。ヤマナイは笑っていた。
 余韻のように響いてくるヤマナイの声があたしは好きで、だからちょっと幸せだ。真っ白い腕も、その奥にある見えない表情も、全部。
 けれど、綺麗な腕はゆっくり遠くに沈んでいく。……もう少し見たかったのに。
 ヤマナイはきっと、腕を抜いたその穴からこちらを見ているのだろう。だから次の言葉は少しだけはっきりしていた。
「――ねぇ、月夜、顔を見せてくれないかな? ひさしぶりだし、そこだと手しか見えない」
「……え――――あ、え?」
 自分に話が及ぶと考えなかったのか、月夜はキョトンとヤマナイを見て、次にあたしを見た。小動物のようである。
「……イヤ、あたしを見られても」
 どうすればいいのかと。
 とりあえず、月夜に手を伸ばしてみた。
「?」
 戸惑っているのだろう、月夜がそろそろとこちらの手を掴み、
「とりゃ」
 思い切り引いた。
 足から腰、肩から腕まで総動員して一回転。左足を軸にしたそれが月夜をあたしの隣、穴の真正面に立たせる。
 勢いでふらついた月夜を、握り続けていた右手と腹部に当てた左手で支えた。
「ん、じゃあ屈んでくれるかな?」
 まだ理解が追いついてないんだろう、言われるがまま、口も開かずに月夜が屈みこむ。……距離があるとはいえ、なんだかキスをするような格好なのが少しむかつく。
「……うん、月夜だ。なんだかあんまり変わってないなぁ――主に身長とか」
「嫌味?」
「そんなまさか」
 ヤマナイの言葉で、月夜はようやく曲げていた腰を正した。穴を見詰めながら後ろへ下がり、数歩離れた位置に止まる。
「けど、三人が揃うなんてほんと久しぶりだねぇ……昔みたいだ」
「あ、ごめん、その話もうしちゃった。道すがら」
「えぇ!? じゃあ……えーと、これからも三人で集まる機会があるといいね?」
「ごめんその話もして、結果、月夜が携帯持ってないから自宅に強制突入しないといけないという結論に」
「えぇ、じゃあ何を話せば……!」
 ヤマナイが黙り込む。きっと中でぐるぐるぐるぐる、思考を巡らしているに違いない。
 ……いや。別に一度した話を二度しちゃいけない、なんてルールはないんだけど。でも面白いからこれでいいや。
「ヤマナイ、それよりさ――」
 流れを断ち切って、語る内容は翔太の授業中の失敗談だ。そのとき翔太は先生と仲良くなれる教壇前に、私はそこから桂馬で飛んだ場所にいた。つまり翔太を一方的に見放題だったのだ。何しろ、黒板を見れば翔太が見える。翔太はあれで意外と抜けているところがあるので、授業中の挙動が面白い。その一つを笑い話に加工する。
 笑いどころの難しい話を楽しげに語る自分を見て、好きなんだなぁと確認した。
 馬鹿な話より懐かしい再会より、ヤマナイと話している今が一番好きなんだっていう、そんなことを。








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